2014年7月1日火曜日

ボクの満州生活あれこれ9

第2話 塔虎城内(当時は大賚城)又は(大賚郷)に住む

遊び









 春が来ると雪溶けのぬかるみ泥の道で色んな遊びをしました。ボクは一年生一人です、腹式学級で学年差はなかったように思います。ボクは満語がある程度話せるので日本人同士よりボーイの仲間と遊ぶことが多かったそうです。

イ 陣取り合戦
 満人は木釘を使い粘土質の地
面で上手に木で作った釘を突き刺していた。ボクも鉛筆を削って陣取り合戦に加わり、鉛筆に羨望が集まり、母が字を書くのですよと、小孩(しゃおはい)(子供)達に渡していました。
小孩(しゃおはい)たちの喜びがまだ見えます。
 内地では5寸釘を逆さまに持って地面に突き刺し陣取り合戦をしました。
 鉄釘は当時の満州では希少価値だったのでしょう。日本でも戦時中金属製の物品の供出が強要されたそうで、金属は戦争に希少価値だったのですね、今の希少金属と大差はないと思います。

ロ 羽根つき
 満人は足の内側や甲で上手に羽根をつくのです。
女の子が主でしたがボクにもやれと責められ苦戦しました。羽子板を日本から送ってもらい見せびらかしたが今一つうけないようでした。
 羽根は満州の物は本当の鳥の羽根と木の実でした。

ハ. 輪っぱ転がし
 満人の子供たちは針金や柳の木の枝で作った輪っぱを上手に転がしていました。それをボクも借りて遊んでいたのですが、父に見せて自分にも作って欲しいと、頼んだか覚えはありませんが父が作ってくれました。
 輪っぱは満人の子供(小孩(しゃおはい))達は柳の木を利用して丸くし、転がし棒も木でした。
 柳の木は丸く加工するのが大変らしく丸い輪っぱはあまり持っていませんでした。
 父が考えたのは醤油樽の竹の輪で樽をしめてある竹輪に注目したのでした。
 味噌樽や醤油樽は日本人の家には大概あったと思われます。その竹の輪を活用したのです。
 満州には竹はありません、寒くて生育しないのでしょう。満人は竹が珍しくて、特に釣り竿が真直ぐでしなっても、元に戻る勢いが柳の木との違いが不思議のようでした。
 樽を締めている輪っぱは太すぎて転がすのに重たく竹をほぐして軽くしてボクにも扱えるようにしてくれました。
 幾つも輪っぱ作り満人の子供達にも分けてあげました。
 満人は竹を扱ったことがないらしく大人の満人も不思議そうに竹の輪っぱを転がしボクたちの仲間に入って来てボクは得意になっていました。

 転がし棒も針金を父に加工してもらい扱い易い針金の転がし棒になり満人達にも分けて上げました。満人の父や母たちはお礼と云って色んな野菜や果物やお菓子までも持って家に来ました。二人のボーイも自分の雇われた主人が色々と子供たちとかかわってくれるので鼻が高かったことと思います。
 満人の作った輪っぱは1本の柳の枝を真っ直ぐに伸ばして熱いお湯に漬けて丸くするのです。それからつなぎ目は段ちに切り凹凸が出ないように柳の皮で切断した合わせ目の上に巻き付けて仕上げるのです。
 転がし棒は木の枝を縦に割り、裂け目が大きくならないように、裂け目近くに横棒を木の皮を巻き付けて仕上げるのです。
 父とボーイは何時も家の前で何かを作っていました。
 

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