2014年7月1日火曜日

ボクの満州生活あれこれ7

第2話 塔虎城内(当時は大賚城)又は(大賚郷)に住む

アイススケート
 まだボクは国民学校へ入学一年以上前の冬のはじめ運動場の氷は十分でないのでボーイが近くのため池に連れて行ってくれ下駄スケートを借りて履いて滑っていた。

 ボーイに借りて滑るが靴が合わなくてだめ、父にねだってボーイに下駄スケートを作っている鍛冶屋へ連れていってもらい鉄の細い薄い板を石炭の火の勢いをフイゴで強くして真っ赤になった鉄を何べんも叩いて水にジューと漬けて焼いては叩いて伸ばして繰り返していた。








 これをヤキを入れると云い(広辞苑より)
① 刀の刃を焼いて叩いて鍛える。
② 私刑を加える。拷問する。
③ 刺激を与えて、たるんでいるのをシャン
とさせる。・・・だそうです。

 満人は在満国民学校のスケート場では滑られなかったのですが父が学校に話し午後学校の授業が終わってからボクと滑ってもよいと許可をもらいボーイ達も喜んでスケートをしていました。
 右の4種類の下駄スケートは日本各地の気候等により工夫して作っていたようです。

 金沢は雪が多く、道路の雪は踏み固められ、つるつるとした凍った最高の滑走リンクにななった。
昔は車も殆どなくソリが時々通っていたから、ますます表面が固まって滑りやすかった。タケスキーを引く者や孟宗竹で作った「タケッポッポ」を履いて滑ったものです。

 竹スキーやタケボッポッは履物屋に売っていて、足袋を履いて履くのでした。ボクが満州の大賚で滑っていた下駄スケートは刃が立ちエッジ効き満人たち小孩(しゃおはい)(子供)は羨ましがっていました。

 鍛冶屋は日本人のそして満語を話す警察官の子供のスケートをつくり、さぞ気をつかったことと思います。

 昭和17年正月が終わり冬本番の零下20度以下になったころ大賚(だーらい)在満国民学校校長落合先生がスケート靴の新しいのが一足余っているから今年入学予定のボクに配給を速めて持ってきてくれました。

 スケート靴は少し大きかったが靴下を重ねて履けば丁度いい感じだったと思っていました。
戦雲厳しい頃、豚皮のスケート靴がボクにとってはこんな嬉しいことはありませんでした。

 それ以降ボクはスケートが楽しみで、お昼ご飯を食べると直ぐにスケート場で学校の授業が終わるのを待ちスケートリンクの淵に立ったり座ったりボーイと会話をしたりしたためか、ボクの満語も上達したのかもしれません。

 鍛冶屋さんに作らせた下駄スケートはボーイに上げたそうです。ボクは覚えていませんがボーイの両親はすごく感謝していたそうです。

 以降、野菜は買うことなく白菜、馬鈴薯,葱、人参等と西瓜、まくわ瓜、杏等ほとんど必要な食べたい野菜は母に聞いて翌日には必ず持ってきたそうです。満人にはボクの下駄スケートが高級に見えたのでしよう。それはヤキを入れたスケートの刃が価値あるものだったのでしょう。

 魚は父とボクが沢山釣って近所やボーイ達に上げました。母は野菜を遠慮なく貰い、魚は沢山釣ってきたものは皆に分け与えたそうです。

 父は満語が堪能だったため、なお城内の満人の信用も受けて満人からの貰い物も多かったようです。

 1年生入学前の配給スケート靴はショートスケートでした。

スケートの種類
・スピードスケート(ロング)用の靴のブレードは長く真っ直ぐです。エッジは最も薄く、靴も軽く小ぶりです。ショウトトラック用では、靴の位置がロングよりも高いです。
・アイスホッケイ用の靴はブレードとほぼ同じ長さで、両端がやや上に向かって反っています。スケート靴は激しい衝撃にも耐えられる作りになっています。
・フィギィアスケート用の靴はブレードとほぼ同じ長さで、つま先側にギザギザがあり、かかと側は真っ直ぐです。先端のギザギザした部分で、ジャンプの踏切り時に用いられます。 靴は足首が固定されるブーツ状で初心者にも扱い易く、スケートリンクでは一般滑走用の貸し出し靴としても使われています。







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