2014年7月1日火曜日

ボクの満州生活あれこれ8

第2話 塔虎城内(当時は大賚城)又は(大賚郷)に住む

アイススケート2








 ボクの下駄スケートは昭和16年9月に父の転勤で間島省汪清縣張家店森林警察隊の森林の中から大河のほとりの崩れた城壁の中(大賚城)、龍江省大賚省公署勤務になってやっと父や母は息子を学校のある街に連れて来られたことをとても喜んでいました。ボクより父母の方が人が沢山いる街に来たことが嬉しかったのでしよう。

 森林警察隊の狼の遠吠え聞く夜・川の向こうに夜は沢山の野獣の二つの目の光に脅えた生活から早く逃げたかったのです。

 ボクは幼少であり満人や鮮人(朝鮮人)の子供たちと遊んでいたので父母は日本語が話せなくなるのでないかと本気で心配したそうです。

 はじめは満人達とスケートをするとき城外の池の氷で滑っていました。雪が降ったり、氷が解けたり凍ったりするとリンク面が凸凹になったり又スケートリンク場のようにトラック状になっていないためスピードも出なく面白さがなくなった頃に学校の運動場にボイラーからお湯を出してスケートリンクが出来ました。 水を捲いても水の出る場所から氷始めて氷に段々が出来るためにスチーム用のボイラーのお湯を捲いていたのでした。

 零下20度程になるとボイラーのお湯を使ったとのことでした。

 下駄スケートを履いて満人の友達と日本人学校で滑っているのは、他の日本人生徒から見ると奇異なようだったそうです。

 満語をペラペラしゃべるボクを奇異な目で日本人の大人も子供も満人達見ていたそうです。それは父が国境警察隊や森林警察隊暮らしでボクの遊び相手はボーイや満人の警察官・その家族・満軍の兵隊達が主だったからでしょう。

 豚皮のショートスケート靴は少し大きかったが下駄スケートで鍛えたお蔭で足首が曲がることもなく上手に履いてスケートをしたと自負してます。

 嫩江の氷上では人力ソリが活躍していました。

 ソリには鉄板を打ち付けてあり氷の上では重たい荷物を運ぶのに便利です。ソリは一本の竿で上手に操って氷上を滑って荷物を運んでいました。

 冬の真っ盛りには川の氷を切り取って夏のために蓄えるためにいたるところで氷切が始まります。当時冷凍設備は少なく食べる氷も夏には河から切りだした氷が主体だったそうです。

 また、当時も現在も、氷を松花河より切り出した天然の氷を使用しています。ハルビン氷祭りは「世界三大氷祭り」の一つに数えられるイベントだそうです。ハルビン市の各地の公園を中心に氷彫刻や氷の建造物が展示され色とりどりの蛍光灯やLEDでライトアップされ、ハルビン市内の兆麒公園では国際的な氷彫刻大会も毎年開催されています。

 三寒四温のはっきりしている満州では三日間の吹雪や寒さを我慢すれば四日間の穏やかな日に外仕事や運動をして体を働かします。あとはペチカやオンドルで暖かく過ごすのが冬の生活でした。

 四月になると道端の氷は解けたり凍ったりしながら五月になると満州の“春一番”蒙(もんくー)古風(ふぉん)(黄砂)が吹き、空いちめんを黄色く染めました。当時はPM2,5は無かったです。

 蒙古風は一度や二度でなく、そのたびごとに、短い春が近づいてくるのでした。                
 そして柳の木が一斉に芽吹き、迎春花は可憐に咲き、慌てふためいたように杏の花が咲き、梨の花が続く。とくに杏の花は、満州の花の象徴のようです。

 杏花は日本の桜の花のように冬の寒さからの解放の喜びを実感させてくれたのです。ボクには泥道の春は蒙古風もあり綺麗なものではありませんでした。

 最初に咲きはじめる花が迎春花(黄梅等)です。小ぶりの黄色い花です。この花が咲き出すと、春が来たのだと実感します。

 迎春花とは(げいしゅんか・インチュンホァ)春を迎える花と云われています。








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