2014年7月1日火曜日

ボクの満州生活あれこれ12

第3話  斉斉哈爾(チチハル)








 昭和19年7月父の転勤でチチハルヘ私はチチハル在満宮前国民学校へ、チチハルには3か月しか在学せず思い出はとても少ない。

 7月3年の2学期から通った、とてつもなく大きな学校に見えた。3年生は幾クラスあったかも覚えていない。校舎は子のコの字型で中庭がスケート場で綺麗な氷が張られており上手な生徒は中庭のリンクで、下手な生徒は校舎の裏側にリンクがたしか3つ、あったと思う。ボクは上手だったので、スケート専門の先生が教えてくれたような気がします。

 スケートは誰にも負けない自信がつきました。

学校の授業は一つも覚えていません。

 斉斉哈爾は黒竜江省西部の市。省都ハルビンの北西270キロメートル、嫩江(のんこう)の中流
域に位置しており、今は哈爾浜から列車で3時間半ほどで行けます。

 チチハル近郊には丹頂鶴が生息している大湿原地帯(ジャロン自然保護区があり、鶴城とも呼ばれている)があり夏には緑一杯の湿原に丹頂鶴が沢山います。冬になるとこの鶴達は北海道の釧路湿原にほとんどが飛来しますが時々金沢でも雪原に立っている丹頂鶴を優雅に美しく観察出来ます。

 2003年8月4日、旧関東軍が遺留したとされた化学兵器が漏出して市民44人が重軽傷を負い、うち1人が死亡する事件が発生、自衛隊の化学兵器処理班がチチハルに派遣された。この事件により中国の反日感情が高まった時期がある。

 1945年以前には石川県から亜州白山郷開拓団(鳥越村)がチチハルから30km程北の富裕県に入植していたが、敗戦により大惨劇がありました。団員350名ぐらいが無くなり生きて日本へ帰った人は60人程でした。

 書名, 8月27日 旧満州国 白山郷開拓団. 著(訳)者, 財団法人石川県教育文化財団. 発行社(者), 財団法人石川県教育文化財団 理事長 重田重守に生々しく生き残った人たちが証言しています。是非後世の為に読んで下さい。当時もっと悲惨な事件は葛根廟事件(ソ連軍の機銃で1000人以上が犠牲)、瑞穂村開拓団事件等沢山あります。

 石川県から満州へ開拓団として入植した人は約7000人程、死んだか不明の人は約3000人程です。これは石川県満豪開拓史に記されています、なお詳しくは石川県の各市町村別に記されており、各人の逃避行の苦難の行程も書かれています。

 各都道府県にも満豪開拓団史等があり詳細に記録されています。
 各図書館で見ることができます。
 日本人ならば是非見て読んで頂きたいものです。

 満州には926の開拓団と開拓義勇軍251が入植しており、死者数は約10万人です。

※今年長野県阿智村に4月25日開館した満蒙開拓平和記念館は歴史を残す一つです。
※ 満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所史跡に水戸市内原郷土史義勇軍資料館があります。
※ 軍人には各都道府県に郷友会館があります。

以上には各都道府県ごとに資料が作られており当時のおおよその事態は分かります。

 一般の引き揚げ者は各都道府県の援護担当に引き揚げ証明書があるのみです。あるのは「赤い月」なかにし れい著、「流れる星は生きている」藤原 てい著等と、名も無き一般の引き揚げ者の著書も沢山ありますが、図書館では満州の悲劇の本を検索することが出来ません。「大地の子」山崎 豊子原作のテレビドラマは開拓団の悲劇を日本人に伝えられました。

 今、私はホームページ「k-アムールボーイ」の中で悲劇の図書館の逃避行・集団疎開で敗戦時の満州の日本人がソ連軍に攻撃され、虐殺、銃殺、強姦、自決、親が子を・・・等の本を名も無き引き揚げ者が書いた著書を検索照会しています。100冊以上あります。是非読みたいと思う本がありましたら、皆さんの近くの図書館から借りてお読みになって下さい。

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