2014年7月1日火曜日

ボクの満州生活あれこれ4

第1話 ボク、一人だけの一年生
  
 父の転勤は日本人ボクが入れる小学校のある地域を希望したんので、「満州国龍江省大賚(だーらい)縣大賚省公署」勤務 (警尉) ※( 現在の大安 ) になりました。それは昭和16年9月(満州国年号 康徳8年)でした。

 康徳9年4月(昭和17年)在満大賚在満国民学校へ入学、一年生はボク一人入学しました。

 教室は二つだけ、先生も二人、運動場はありました。授業は複式学級で1・2・3年生で一教室、4・5・6年生で一教室、一年生はボク一人だったことは覚えているがあとは記憶にない。校長先生は時々背中の長い燕尾服を着ていました。もう一人の草場先生は父と同じ協和服を着ていました。もう一人女先生が校長先生のいない時に代わりに教えてくれたような記憶があります。体育館はありません。


 運動場は広くて冬になるとスケートリンクが作られ一番楽しかった思い出が沢山あります。
 二年生の時(1942)に塔虎城の外に新校舎ができた。煉瓦造りだが明るく中は木材仕上げ気持ちよかった気がしました。

 校舎の裏は運動場、周囲は一面畑です。

 マクワ瓜、スイカ、大豆が主でした。ボクは満語が話せるので何時も満人の畑に入ってマクワ瓜を貰って友達で食べたり家へ持って帰りました。父に報告すると必ずボクを連れてお礼に行っていました。

 父は何時も満人と話をするのが楽しかったのか、仕事柄情報収集をしていたのかは定かではない。

 写真は新校舎完成記念写真です、先生、父兄、全生徒25名です。先生二名の名前は覚えています。右側の燕尾服が落合校長先生、左側の協和服が草場先生です。ボクは前列の右から5番目、父は右後列背の高い頭ぼさぼさの男です。

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