2013年10月31日木曜日

軍人恩給扶助料(遺族年金)が支給されました(5)

黒河警務庁分室の在職証明・・・これの証明には困難を極めた。
 満州国警務庁を知る人は、分室の存在を知らない。なぜなら、分室は特務機関の組織と思われていた。そこに出入りする人物は私服が多く、時々出入りする人物も軍人が目立っていたからでしょう。
 分室は黒河省公署敷地内の一角に半地下式の建築物でした。そしてこの無電室は黒龍江河畔にあった150メートル程はなれた場所の特務機関と地下道で繋がっていたそうです。


 それとよく似た建築物は私が現役中に出張で行ったことのある、NTT武蔵野研究所の門を入って左側の建築物が半地下式であり興味があり、尋ねたところ、戦前に地下道の入り口だったのでなかろうかのことでした。
 幼少の頃無電室の父に弁当を届けた思い出の建物の一つです。
 
 ・小沢 小善治さんの証言
 当時の小沢さんの官職、勤務先
満州国黒河省公省省長官房 広報室
身分は満州国政府委任官



 下記の手紙は決定的な宮岸清太郎の職務証明になりました。なお小沢さんは昭和36年にソ連から釈放され帰国して画家として活躍していました。
1945、8、9日当時、小沢さんは新京へ転勤しており、終戦時の徴兵の証明にはなりませんでした。(平成20年2月没)


満州悲劇の図書館







 父の満州国当時の消息を尋ねて、全国へ81通の手紙を出し、色んな沢山の返事が、電話、ハガキ、手紙等からあり応対に翻弄されている時、その一つ、


 兵庫県龍野市の三浦 澄さん(当時黒河省孫呉警務庁無電室勤務)から電話、貴殿の父と同じ勤務の黒河無電室の森山 堅吾さんが新潟にいます、と電話があり、電話番号を教えてくれました。
・ 森山 堅吾さんの証言当時森山 堅吾さんは父の部下でした。
(平成14年森山さん
に逢い知りました



満州悲劇の図書館



 黒河警務庁無電室勤務森山さんは昭和16年満州へ夢をかけて、黒河警察学校へ入学一ヶ月の研修を得て以降、獏河、呼?等国境警察隊勤務から孫呉


無電室、昭和20年4月黒河無電室勤務ソ連参戦と同時に関東軍第123師団
松風15204部隊歩兵270連隊、入隊(大田喜一連隊長)20年8月19日武装解除、北孫呉収容所へ。
9月1日ブラゴベシチェンスク入り。ソ連各地を転々と移動して重労働に服した。
昭和23年11月26日帰国、復員。(平成20年6月没)

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