2013年10月31日木曜日

ニーハオトイレ    (2)

ニーハオトイレ    (2)


中国の公衆便所(公共(こんこん)厠所(すうすお))で今も忘れられない印象を受けて、今も公衆便所へ飛び込んだ時にハッとするのは、先客が居るかいないかです。
 我々日本人は先客がいれば失礼しましたとお詫びの挨拶をしてその場を立ち去るでしょう。しかし中国では違います。
平成5年8月の旧満州一人旅で黒河まで行った時、長春(新京)でホテルの裏道の賑やかな道リで便意を感じ、しかたなく公(こん)厠所(すうすお)(公衆便所)を街角でさがしあてて、「清你(ちんにぃ)」と声をかけて入ったら老人が一人こちらを向いて、きばっていた。


 私は思わずニーハオと声をかけたらにこにこ笑いながら「不是」(プシプシー)かまいませんよ。と云われたと思いました。
 便壺は縦1m程、横1.5m程もあり、幅20㎝程の板が4枚掛けてあり同時に4人は大便が出来るようでした。
 老人は私に早くしないのかと催促しているように云っていたようだだったので、やおらズボンを下してしゃがむと、じろじろ見られて、出るものがなかなか出なくなってしまって困惑してしまいました。
 目の前の人はこちらに尻を向けて排便しているし、向こう側のおじさんはタバコをゆらせながら新聞を読みつつ、排便の最中こんなに暗いのに新聞なんか読めるものだなと思いつつも頑張ったが駄目でした。
 老人は何か私に声を掛けて助言しているのだが分りません。
 暗くて辞書を取り出すこともできず出る物は出ないし困惑しました。

 用を果たせずに外へ出ると又その老人が声を掛けてきてホテル、ホテルと云いながら、你(にー)日(りー)本(べん)嗎(貴方は日本人か)と聞かれ「是(しー)」と答えました。
 又ホテル、ホテルと叫んでいるようでした。
 快々(かいかい)的(で)、快々(かいかい)的去(でちゅ)了(ら)と叫んでいるように聞こえ早く早く行きなさいといっているようでした。
 もうひとつ、これは北京の小路にあった店番がいる公厠(公衆便所)へお金を皿の上に置いて入ったら、小便所と大便所区別はあった。
 有料なのかさすが綺麗になっていたが、並んだ大便所の壁は腰の高さまでしかなく扉はなかった。


 しかししゃがめば隠れはするが外からは見えて、隣同志の顔は見えない様だった。
 便壺には水が流れており清潔だが下流は上流から物が流れてきたらそれが道リ越すのを待つ必要があるのかな。
 しかし、この公衆便所の管理人兼料金係は私が大便中、私の分らない中国語で話しかけたり他の大便をしている男とも話しをしていたのには参った。
 人間誰でもすることでも恥ずかしいとか嫌らしいとか思うものだが考えてみると誰でもすることだから恥ずかしくないはずなのに恥ずかしい。
 食事等も高貴な方々は物を食べている所を他人にはあまり見せない、高貴なお方には食べる為の作法があってそれにしたがっている、それが人の上品さをもたらしている。

 西洋文化が入ってきてからはその上品さが崩れ去ったようだ。ハンバーガーを自動販売機で買うと販売機から出てきた食べ物をそのまま口にあてて食べてしまう。
 食べることに関しての恥ずかしさは大部分が失われた文化になったのでしょうかね。
 中国旅行でのトイレの印象はまことに悪い。
 旅行中は水分を控えめにして、用はホテルかレストランで済ますことが常識です。しかしそうはいかないのが旅の面白さです。
 街をぶらぶら歩くと道路の端や家と家との間にトイレ(厠)が多く目立ちます。


 しかし、これは公衆トイレではなく実は個人のトイレの場合が非常に多いのです。なぜなら、中国では各家でトイレを持つことは少なく4~5家が共同で使用しているのです。


 時には人道りの多い街では有料にしている所もあり一度覚えてしまえば用足しには心配はいりません。
 ただニーハオトイレとなることに慣れることです。
 戦後旧満州新京で浮浪児ごときをしていた時に世話になった猛家屯(もうかとん)駅の
    

            踏切り番の家とトイレが下図です。
 
 

満州悲劇の図書館

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