2014年9月5日金曜日

ボクの満州の生活あれこれ17









昭和13年 4月 (康徳5年)熱河省古北口から、満州国間島省汪清縣天橋嶺森林警察隊へ転勤発令、今度は森林警察隊とは?
 またまた、田舎へとは?匪賊・馬賊が横行している危険地帯だったそうです。


(牡丹江-長春)列車情報
によると、牡丹江から3時間。長春から4時間の山岳地帯に天橋嶺駅はありました。
通常の旅行者
のルートでないそうです。




14年 9月11日(天橋嶺森林警察隊官舎)
次男 清介が誕生しました。
 


 15年 4月 満州国間島省汪清縣張(ちょう)家店(かてん)森林警察隊へ転勤。
大変な山岳地帯で狼・虎・熊等の猛獣やその他あらゆる動物が生息しており匪賊・馬賊の討伐より猛獣から身を守る方が大変だったそうです。



  天橋嶺駅から張家店へは森林鉄道が木材運搬の為に敷設されていました。現在もその森林鉄道は運行されていると聞いています、是非行ってみたいと思いますが?思いがかなう日が来るでしょうか!記憶は微かにあります。
 アメリカの西部劇映画にそっくりな家屋構造が
目に浮かびます。
 材木で囲みこんだ砦であり、周りは全て木材です。門も大きくトラックが中庭に入れる大きさでした。


 門の前には幅一間程の深い川があり水が何時も流れており父母からは、門を出るときには真ん中を歩きなさいと注意をされていた覚えがあります・



森林警察隊本部は川の淵の岩場の一角に建ててあり河からの敵の侵入は岩場を登る必要があり、防備としては当時は最適だったのでしょう。




 私達日本人家族は三家族だったらしいですが砦の中に住居があり、役所と続いていました。
 父は廊下伝いに役所に出向き常時無線機の前にいたようです。砦の中庭には馬が繋がれており、時々父や満人に乗せてもらいました。



父の執務状況はよく見ました。電鍵を左右に
                                      おいて、両耳をレシーバーにあてて、押さえながら
                                     電文を聞きメモしていました。生分か暗号文かは
                                    知りません、黒河では全てが暗号文でしたと!


 材木の産地の森林鉄道です、珍しかったそう
です。ジーゼル機関車は!









ボクは何時も鮮人の子供達や満人の子供達と遊んでおり、家に帰った時だけ日本語を話す生活が続いたそうです。それが敗戦後、とても役に立ち残留孤児にならなかった原因の一つです。






  森林地帯です、狩猟には事欠きまん。まず、赴任して最初の狩猟案内は


クマ狩りだったそうです。熊の皮は冬、暖かく寒い満州ではとても重宝
がられており、満人達が連れて行ってくれたそうです。
熊の皮はなめして、ボクに。熊の肝は彼ら満人が漢方薬として持ち帰ったそうです。
 のちに、干した肝を少し貰ったそうです。胃薬に大変効くそうです。




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