2013年11月7日木曜日

ボクの満州生活あれこれ 3

街頭の歯医者と散髪屋 3 
   
   私は過去に「阿片関連」に沢山お世話になったのかもしれません。
一つは 咳の「呼吸沈静作用」です 。もう一つは腰の痛みの「鎮痛作用」と手術時の「鎮痛・麻酔作用」で大変お世話になって今日生き伸びたのでしょう。阿片そのものではなく、その有効成分モルヒネが現在使用されている薬です。
  


 阿片ってどんな天国へ入った陶酔感を得ることが出来るのでしょうか。
 

 阿片は、「阿片パイプ」と呼ばれる道具を使って喫煙します。当時のパイプの多くは翡翠(ひすい)で作られており、練り香のように丸めてじりじりと熱し、その立ちのぼる煙を一気に吸います。うまくいけば極上の陶酔感を得ることができるそうです。
 

これらが麻薬たるゆえんです。阿片を吸うことは、身体を一時的にリラックスさせる 
最高の薬だそうです。
しかし阿片は一度吸引するとタバコより離脱することが困難な魔法の薬です。

※ 阿片窟とは阿片の 売買 および吸引の場所を提供する 店 。
アヘンを常用すると体が衰え、自らアヘンを調達し吸うことすらできなくなるため、店員がそれをサポートしたりする場所です(1945年8月以前の満州、日本では禁止)。
    

 現在のテレビや新聞で大きく報道されている脱法ハーブ店の事でしょう。
※ 大観園とは「紅楼夢」のなかに出てくる歓楽街の名にちなんで大観園と命名された(ハルビンでは)この魔窟には、安女郎屋や阿片窟が密集し、人間の本能をそそのかすように、獣姦や屍姦さえ自由だったそうです。また毎朝のように道路に骨と皮だけになった死体や傷だらけの死体が捨てられてあったそうです。

  旧満州ハルビンの大観園は満州国の時代に、黒龍江省ハルビン市内を 流れる松花江沿岸にあった大観園という歓楽街 でした。資産も定職もない食いつめた下層 の庶民や犯罪者が流れ着いた社会の吹き溜まりのような場所であり大観園はかつて満州一の歓楽街、というよりは満州最大の魔窟だったそうです。

 大観園に一度まぎれこんだら絶対に生きて戻れない、といわれ、女子供はもちろん、大の男でも恐ろしくて近づくことさえできないところだったそうです。
 阿片にまつわるもう一つの大きな事が、「阿片戦争(1840~1842)」西洋の弱肉教食を象徴する戦争でした。
 

 植民地政策が常識のこの時代、中国の茶に注目したイギリスは、代金の支払いに、インドで作られたアヘン(麻薬)を中国に売って銀を買い、その銀で茶を購入した。清はこれに怒り、イギリス商人からアヘンを没収したが、イギリスの武力の前には屈伏するしかなく、屈辱的な南京条約(香港100年の無償借り上げ等)という不平等条約を結ばされることとなったのです。
 

 「香港」が中国に返還されたのは数年前(1997年)のことでした。
 アヘン戦争における清朝の敗戦は、清の商人によって、いち早く幕末の日本にも伝えられ、日本の幕府は、大きな衝撃を受けた。
 

 以前より蘭学が発達していた日本では、中国本土よりも早くこの戦争の国際的意味を理解し、危機感を募らせた。そして開国を迫られていた中で阿片は禁制品として国内への影響を最小限に抑えられたと云われています。
 

 しかしその後、外国を植民地化する、後出しジャンケンのように、中国侵略時には阿片を活用して軍資金を捻出した。共産軍・国府軍とて同じであったらしい。

 それは日中戦争、満州国の建設です。その落し子が阿片窟であり、その最たるはハルビンの傳家甸(フジャンデェン)と云う地に於いて「大観園」が出来て漢民族の縮図を見ることが出来ハルビン独特の悪どい呼吸が囁かれていたそうです。
 

 日本は阿片にたいして刑法が甘く死刑にはならないが、昨年中国で2人の日本人が死刑判決出された。11月に「のり?」
と云う女優が復帰する、報道があったが如何なことか私だけの意見でしょうか?

 小説「赤い月」 著者 なかにし れいの父(お父さん)が病気になりそれを苦に阿片窟へ入り、抜け出られなくなり友人が大変な努力で助けた文章があります。一読に値します。(満州敗戦直後のハルビン)阿片戦争の教訓を忘れないように。

1 件のコメント: