2013年11月7日木曜日

ボクの満州の生活あれこれ 2

  
 もう一つは街頭の散髪屋

  満州の昭和15年頃、大賚(現大安)で父と散歩している時父が、おとうさんは散髪をするから待っていて!と云って街頭の散髪屋の椅子に座った、



 

木材で作ってあったが背もたれになっていた椅子でした。 
 父は満語(中国語)通訳資格を持っており散髪屋とおしゃべりをして色んな情報収集をしたかったのでしよう。父は満州国警察官で暗号無線通信士でした。
 父が散髪をしている隣には歯医者が薄汚れた布を敷いた台にヤットコの大、小・ペンチ・ヤスリ等怖い道具を並べていました。
 付近には万頭屋・チェンビン(煎餅)屋・水茶屋・玉蜀黍(トウキビ)屋・ソーセージ屋等が並んでいたようでした。
 父の散髪を待っている間にチェンビンに大好きな豚肉を沢山いれたのを作ってもらい食べていました。美味しかった。


 昨年黒河へ行った時にも粟を粉にしたのに水を入れてかき回して熱く熱した鉄板の上で直径20センチ程の丸い円形にして引き延ばし、その上に具を入れて巻いて食べるのです。丁度、お寿司の太巻ぐらいの大きさで、初めは熱くて、冷ましてから食べるのです。具は豚肉の細切り、ニラ、味付けした味噌でした。
 日本の風景に例えるとお好みやが鉄板の上でへらを使って食材を丸く焼いている光景です。

※  看板にある補牙とは入歯の意味虫歯を
引っこ抜くのでは。表看板に麗々しく西洋流
と書いてあるけれども道具が如何にも支那式
である。
 









※ 色んな種類のヤットコが
並べてあった、怖かった


父が散髪している隣が歯医者さん、お客さんが椅子を倒して口で何かを食べていたチュウインガムを噛むように。散髪屋と同じ白い服だが、煮しめたように汚れていたのを思いだした。
 やがて何かを噛んでいた人の口から噛んでいたものを取り出した。
 今度は煮しめたような布で目隠しをした、次は口を大きく開けさせヤットコを口の中に入れて歯を掴んで抜いているようだが身体も持ち上がるが、なかなか、抜けない痛いよー(トン)、痛いよー(トン)と聞こえた。今度は近くにいた人に身体を抑えさせて、一気に抜き取ってしまった。
 歯をぬかれた人の身体はだらりとなっていた。口からは血が少しあふれ出ていた、そして口を開いて黒い布切れに何か液体を浸みこませて噛ませました。    

※河北省古北口(万里の長城の街)右が母に抱かれたボク(清衛)芥子の花畑。昭和十二年です。
 
 
 

※ 芥子の実
 
※ 芥子の花
 
 
 
 阿片を鎮痛剤として使ったらしいのです。当時満州では阿片が多く栽培されており、関東軍の資金源になっていたそうです。満州の都市と名のつく街には、阿片窟(阿片を吸引場所)があり、それの最も有名なのがハルビンの「大観園」でした。その場所には日本の警察、軍人も入れなかった「阿片窟」の最たるもので売春宿あり、歓楽街ありは地獄だったそうです。

   
 街頭の歯師は芥子の実の生から出る白い汁を煮出したか、実から出た白い汁をそのまま布に浸みこませて鎮痛・麻酔薬として使用したものと思われます。
 

 私が初めて喘息になったとき、弟を朝早く起こして病院へ連れて行ってくれと頼んだが丁度日曜日、新聞の当番医は遠かったが連れて行ってもらった、早朝のため弟が扉を叩き医者を起こした。医者は診察をして看護婦に「モヒ」と云ったようだ、そして皮下注射をした。息苦しさは、嘘のように治ってしまった。
 

 医者は大きな病院で精密検査をしなさいとアドバイスをしてくれた。
 10日程したある日また息苦しく咳が止まらなくなり大きな病院へ行ったら「喘息」だねと云われたがどんな病気か知りませんでした。34歳の秋でした。
 

 「モヒ」とは阿片から作ることは知っていましたが国が禁止する悪い物質でありどれほど悪いのかは知りませんでした。
 

 ※ 阿片は芥子の実から精製します。それには鎮痛・麻酔薬のモルヒネの他に、呼吸鎮静作用、筋弛緩作用、鎮痛作用など、約40種類の成分が含まれると言います。モルヒネは、天然の芥子の実からしか精製できません。 阿片(ヘロイン)を使用するとどうなるか ケシの薬効成分であるアヘンアルカロイドは、強い抑制効果を持ちます。特に精神的な部分に強く作用し、服用者はあらゆる抑圧から解放されます。不安、欲望といった感情がコントロールされ極上の陶酔感を得ることができ身も心も空中に浮きこの世の極楽を味わえるが習慣になりやすく身を滅ぼしてしまいます。

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